2005年度活動報告

NO.1

つながりは確実にひろがっています きついことも多い、でもおもしろいですよ!

【2005年度通常総会を開催】

通常総会写真

4月29日、人権センターながの2005年度通常総会を、長野市・県労働会館で開催しました。

2003年にスタートして以降、皆さんの会費を主に、“従来のやり方や体制に依存しない新たな取り組み”を続けてくることができました。 活動内容についてはすでにお知らせしてきた通りですが、正直言って「苦しみながらも、いろいろとやってきたんだなあ」・・・ いや、やらなければならないというより、やりたいことをやってきたのだと思っています。 そして確実に人とのつながりが広がってきたように思います。

昨年度の活動の反省から特に本年度の活動では、独自の集会(セミナーなど)を定期的に企画しようと考えています。 テーマと企画内容についての具体案については総会で報告しましたが、詳細はチラシ等でお伝えします。

また、各地域単位での講座も計画していきたいと考えています。 例えば場所についても各地域のお寺や教会などでの設定によって、 あらかじめ「予定した参加者」という取り組みから、いろいろな人たちが参加できる企画運営内容にしていきたいと思っています。

そこに、人とひととがつながるきっかけがあるように思っています。

さらに、@意識調査、実態調査の実施 A「同和教育」の検証・出版 B従来からの相談支援をひろげていく  Cそのためにも、スタッフ登録や、人権センターながの「人権よろず相談支援員」の設置とステッカーの取り組みなどを行おうとも考えています。

「人権よろず相談支援員」の設置を!
―会員の皆さん これからもよろしく―

《この人もきてくれました》

「差別は共通しているんです」

この総会に、この間相談・支援・連帯していきた4人のかたが出席してくれました。

すでに皆さんに報告してきました、長野県精神障害者家族会連合会の宮島さんから、長野市障害者支援施設「ハーモニー桃の郷」の窓格子取り外しを求める活動と、 精神障害者がおかれている状況について報告して頂きました。

「寝た子をおこしてほしくない」とする当事者の「思い」、その背景ある差別社会の現実、「部落差別と共通しているんです」と語ってくれました。

宮島さんには短い時間しかとれず、大変申し訳ありませんでした。

これからもつながっていきます。

「私たちにもできることが・・・」

つづいて、3人の親子・・・、そうなんです。

部落差別によって結婚を反対され、「教えてください」というメールからはじまったつながり。

この二人が9ヶ月になった子どもと一緒に顔を出してくれました。

未だ彼の両親には反対されていますが、その取り組みを行う一方で、三人がしっかりと現実と向かい合って生きていってほしいと思ってきました。

「一言でいいから自己紹介して・・」と言うと、今までの経過を話してくれ、「生まれてきたこの子のためにも、私たちが胸張って生きていかなければいけないし、 私たちにもできることがあると思っています」と語ってくれました。

いまも多くの課題を抱えて取り組んでいますが、相談する人・こんどは支援する人への取り組みが現実にスタートしました。

「会員になります」それも「二人で」と・・・。

うれしかった。

  やっていきたいことは「これなんだ」 
                    それにしても、人見知りしない子どもだ。

《「性教育バッシング」》

理事の木島さんよりこの間の「性教育バッシング」にかかわっての問題提起がされました。 詳しい内容について寄稿して頂きましたので掲載いたします。

<必要でしたらご連絡を>

★啓発推進・人材育成事業の福祉のまちづくり事業で計画した「人権・福祉実態調査」については、高齢者福祉実態調査という分野にしぼって、 「いきがい」という視点や、(今回の調査では)被差別部落と高齢者福祉の実態という観点で調査項目を人権センターながのとして作成しました。

★解放子ども会「カリキュラム」実践事例を作成しました。 全体の取り組む視点としての内容です。

 

<「必要はない」と言わず
  ぜひご連絡を>

★一枚もので人権センターながのの活動内容と会員加入ができるチラシを作ってほしい という要望が大変「多く?」ありまして、このたび作成しました。 ぜひ、大勢の方に皆さんから声をかけて頂きたく、お願い致します。

 性=個人=人権をとり戻していく覚悟を

木島 知草

性=個=自らの命を守る権利が侵されぬように、この時代におきている出来事、マスコミを通しての情報を読み抜く力をもっていたいと思っています。

私は人形劇屋として33年、HIV/AIDSの語りべとして15年、「性、人権、命のメッセージをテーマに、年間、全国100ヶ所を語り歩いています。 その80%は学校・教育現場ですが、ここ数年前から「性教育バッシング」という言葉で表されている様々なことがおきています。

「いのちの教室」として、学校を基盤に、教師と親が地域行政と連携して、何年も積み重ねてとりくんできた性教育の授業を、 こわしていくような動きが、東京都を中心として全国各地へと除々に広がりつつあります。

県教委、市町村教委からの「指針」という形で、何の根拠も議論もなく、一方的に(政治的力も加わっている) 「『性交』を小学生には教えてはならない。」「からだ・命を守るためにも、当然知っておくべき、性器の名称や生殖のしくみなどを教えない。」 「性感染症予防・避妊具としても、有効といわれているコンドームを具体的にみせたり伝えてはならない」などという圧力がかけられ、 ときには、教材さえとりあげられたりしているところもあります。

いま、せっかくつみ上げてきたとりくみが、くずされようとしています。

「性教育」には、男女共同参画、ジェンダーフリーなど、子どもの時から人間として男女を問わず社会的役割分担のおしつけにとらわれず、まず自分らしく生きていく権利があります。

そこには、自分をよく知り、みつめ、男女も共に助け合い生きる為に互いの違いを知り、平等であることを意識して、生き方を考えたり、 自己決定していく力をもってほしいとの願いが根本にあります。

もちろん、「性教育」は、様々な性を認めたり、一人ひとりの違いを認めたり、家族、パートナーとのあり方、生き方として、 多様な考え方があって当然で、ひとつの答えやマニュアルがあるわけではありません。

これからも方向性については多くの人々や教育者たちが考え話し合うべき課題であると思っています。

ただ、今おきているバッシングは、一方的で、教育現場のつみ上げてきた教育者と親や子どもたちの実践を、授業風景や一部の言語をとりあげて、 頭から過激だと決めつけ、センセーショナルに報道があおり、うわさからうわさへと広げていくやり方で、命、人権をベースにした授業の全体像を無視しています。

私のように一匹狼でHIV/AIDSに深くかかわって語りべをしている人間にとっては、HIV/AIDSパニックという現象からの学びによって、 今日のやり方は、いかに権力者たちが使う常套手段であるか、すけるようにみえてきます。

HIV/AIDSが初期のころ、やはり国の薬害かくしの手段として、マスコミを使って、情報操作をして、 差別・偏見をまきちらすエイズパニック現象をおこして感染者、患者の人権を侵害したと同様のやり方で、じわじわと悪影響が広がっているのです。

多くの性に対するタブーの歴史を生きてきた大人たちは、この風に流され、ふりまわされます。 特に思春期の子を持つ親たちは、迷い「できるだけ性にふれさせないという形で子どもたちを守ろう」とし、 教師たちは、職務として、「逸脱した教育は禁ずる」という声に、抑制しあって、「あたりさわりのない授業で」と、 性が命を守る為に大切な人権教育であることから目をそらしています。

いま、子どもたちのおかれている状況は危機的です。

巷には、性の情報は子どもたちにもあらゆる方法(パソコン、雑誌、まんが、ケイタイ、VTR、TV)で手に入り、商業ベース、 経済優先の流れの中での性情報に対する選択、対応の方法はたれ流し、放置され、子どもたちがその犠牲になっています。

それを禁欲教育や条例などをつくって、とりしまり、若者や子どもを管理して行動抑制させるという動きがあります。

いかにも、効果的であるかのようにみせて、むしろ人権が無視され、はみだした人々は、潜伏させられ、 子どもたちも若者も物言えぬ状況をつくり出していくことになると思っています。

実はこの性教育バッシングを見極めていくと、ジェンダーフリー、フェミニズム、男女平等の思想をつみとろうとする動きと重なっています。

教育現場でこそ、また家庭教育ももちろんこの現実の波の中で、子どもたちがおぼれないように、 学ぶ場をつくり出していかねばならないはずなのに、その裏にあるものは何なのか…。 皆が、自分のこととして、人権として、この時代をよく見つめて、流されず、 周囲の人々と話し合って一人ひとりが性=個=人権をとり戻していく覚悟をしなくてはならないと深く感じています。

性に対する、知る権利の保障は自らの命、からだを自分で知って、相手と話し合う為のコミュニケーション力を育てることであり、 被害にあったら訴えたりできる力をもつことにつながります。

私たち一人ひとりの性、命、愛すること、誰と生きて家族をつくり出していくかなど…は、個と個が出会い決定していくことであって、 国家や政府が決めたり、おしつけたり、管理したりすることを許してはならないと思います。

わたしは公演活動をつづけていきます。

《人権セミナー 「ハンセン病問題と部落問題」》

―重ねられた二つの差別―

ハンセン病問題人権セミナー写真1

7月10日(日)、長野市・信州大学教育学部で、「ハンセン病問題と部落問題−重ねられた二つの差別−」をテーマに、人権セミナーを開催し、153人の方々に参加して頂きました。 ありがとうございました。

ハンセン病問題人権セミナー写真2 ハンセン病問題人権セミナー写真3

昨年、「特殊部落附癩村調」が大阪で発見されたという記事を見て、もっと詳しく知りたいと思い続けていたので、念願かなってのセミナーとなりました。

(自分たちのやりたい企画からはじめました)

福祉運動みどりの風の大北規句雄事務局長は、スライドで基本的なことを説明されたあと、 「『特殊部落附癩村調』は研究者の間では以前から知られたものだったが、第2の地名総鑑になるおそれもあるとして触れられなかった」 「わたしたち部落解放運動をしてきたものの、ハンセン病問題への認識が浅かった。 もっとはやく入所者たちの運動と共に闘っていれば…」との思いから、今回の公開になった。 『特殊部落附癩村調』をきっかけに、差別の根源にあるものを明らかにしていきたい」と語られました。

ハンセン病問題人権セミナー写真4

国の検証委員でもある藤野豊(富山国際大)さんは、当時の政治状況、社会状況を詳しく説明されながら 「『被差別部落にハンセン病が多い』という偏見を利用しての『特殊部落附癩村調』であり、結果として、 これを期にハンセン病患者への隔離政策の強化につながった」とし、部落差別による結婚差別がなかなかなくならないことの一因にもなっていると語られました。

あらためて、お聞きすると、ハンセン病が「遺伝しない」ということは言うまでもないことですが、実際には、 らい菌感染がもとになって発症する病気で、感染と発症にはおおきな隔たりがあり、感染症というよりも免疫異常症に近い病気だそうです。 きちんと知っていかなければいけないと思います。

集会終了後、大北さん藤野さんとお話しをする時間があり、お二人から次のような指摘を受けました。 「元ハンセン病回復者がふるさとに戻れるための、受け入れに取り組む機関・組織が、長野県にないのはどうしてでしょうか。」

この質問はたぶん次のことを問うものではないかと感じました。
部落解放運動は「ふるさとを隠さなければならない」差別との闘いを続けてきました。 その厳しさを一番よく知っているはず。 「重ねられた二つの差別」は「重ねていく二つの差別との闘い」でなければならないように思います。

なお、このセミナーの進行は当センター理事でもあります弁護士の横田雄一さんにお願い致しました。
何と横田先生、「話をする機会はいっぱいありましたが、私司会をしたのは初めてだったんです」と。
これにはスタッフもびっくり。

《企業関係者・人権セミナー》

「企業で差別事件がおきたとき何が大事でどうすればいいか」

まさか こんなタイトルで!、え〜「この人たちは」の共演!

シンポジスト    山崎  茂   部落解放同盟長野県連合会書記長
             星沢 重幸  部落解放推進の会長野県本部書記長
 コーディネーター  中山 英一  NPO法人 人権センターながの代表理事

企業関係者・人権セミナー写真

「こんなタイトルでセミナーやっていいの」と何人もの企業関係者からの声がありました。 (特にかつて運動団体から「糾弾」をうけた企業関係者のにやりとした笑顔が印象的でした)

それもそのはず、今まで企業における研修や企業内での取り組みは、「差別がおきたらどうするか」というものではなく、 (いや、それはとんでもなく)差別をなくす企業と人の育成を理念に、部落解放運動の側からも求められ、企業もまた社会的責務をうたい、その理念を実践してきました。

しかし現実は、ほとんどの企業が差別事件をきっかけとして、企業内「人権同和教育」研修を組み立ててきたのではないでしょうか。

そしてそのほとんどが、時が経過し、人が変われば、その密度も薄くなり、いつしか「何か大事なものを見失って」きたように思います。

そこで、次のような呼びかけを企業に行いました。

企業または関係団体における部落差別問題は、「部落地名総鑑」事件はじめ就職差別事件、職場内における差別事件などあいついで発生してきました。

一方で、こうした事件を契機にした取り組みにより、企業内同和教育の実践がされ 県内では四千五百社を越える同和問題に取り組む企業の連絡会が形式とはいえ登録し、 さらに就職差別の教訓から「統一応募用紙」として取り組まれるようになるなど、成果もあげてきました。

しかし「このままでいいのだろうか」「この先何を求め築いていこうとしているのか」という考えや、何も考えていない現実があるのではないでしょうか。

そこで今、「忘れてきたもの」「置いてきたもの」「見失ってきたもの」を改めて見直していく必要があるように思います。

同時に、企業内における取り組みは「差別事件を起こさないように」という、ある意味本音のところで今日に至っているのが現状ではないでしょうか。 企業内の担当者にしてみたら差別事件がおきたとき、まず「どうすればいいのか」を聴きたいをいう本音をよく耳にすることもあります。

今回こうした課題を踏まえ、いままでふれてこなかった部分にも視点を当てて、「差別事件が起きたとき、何が大事で、又どうすればいいのか」を提起していただくことになりました。

このセミナーは、わたしたちNPO法人人権センターながのが企画運営し、長野県同和問題企業連絡会(事務局・県経営者協会)が主催して行いました。

人権センターながの・中山英一代表理事は、戦後長野県の部落解放運動をスタートさせて、以後部落解放同盟県連書記長を25年間続けてこられました。 その中山さんがかかわった差別事件500件から、また現在の差別事件の状況を、山崎茂・解放同盟県連書記長と星沢・部落解放推進の会県本部書記長から報告されました。

企業が部落問題とかかわり、「同和教育」を取り組んできた歴史的経過や、いまほとんどの企業でかつての実践がされていない状況などの現状が話され、 継続していけない大きな要因の一つに「運動の側にも点検していく継続的なものがない」ことも率直に話がされました。

参加者からは、「企業としてのメリットという側面の追究」や、「ISOの取得と同じように企業と人権問題の取り組みにも、 どこかの機関が認知していくような仕組みがあったらいいと思う」といった意見も出されました。

これからもこうしたシンポジウムを、どこかの企業や機関で行えたらいいなあと思います。 だれか声をかけて下さい。

《「やっています」本県では初めての取り組み
人権問題住民意識調査・同和地区生活実態調査》

当センターでは、本年度事業として人権問題住民意識調査と同和地区生活実態調査を実施する市町村からの要請に応え、 現在中高地域(中野市、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村)の人権に係わる住民意識調査を行っています。

あわせて、同和地区生活実態調査も本年度中に行う準備ですすめています。

この調査には大阪・近畿大学の奥田均先生を中心に協力をいただき、その地域の実情にそった調査項目の設定から分析を行うもので、 こうした取り組みは本県において初めてのことです。

本県では、かつて各市町村において調査は行われてきたものの、それは国の調査項目と同じ設定で実施してきたものがほとんどで、 さらに分析という面では行われてこなかったのが現状です。

他の市町村でも実施できるよう働きかけていきます。

《人権セミナー 「『かかわり』との内と外》

―臨床心理士からみた学校―

臨床心理・人権セミナー写真1

8月20日、長野市・吉田公民館(ノルテ長野)で、臨床心理士の望月秋一さんを講師に、人権セミナー「『かかわり』その内と外―臨床心理士からみた学校―」を開催しました。

人権セミナーはどなたでも参加できるのですが、今回は、教育部会スタッフが企画し、 標題に「学校」を入れたセミナーでしたので、参加者の多くは学校関係者だろうと思っていたら、新聞で宣伝したこともあり、教員以外の参加者が半数でした。 それだけ、お子さんの事、学校の事 悩んでいる方が多いということでしょう。

講師の望月さんにとっては、大変だったかな思いましたが、「臨床心理」って何?って いう初心者の私にとっては、とてもおもしろいセミナーとなりました。

臨床心理・人権セミナー写真2

途中で行ったロールプレイはそれぞれの立場になりきっていただいた参加者のおかげでとてもおもしろく見させていただきました。

抑圧的な父親、その父親に文句一つ言わずあわせる母親、学校でも友達ともうまくいかず、保健室で休みがちとなる子ども、 その子どもの秘密の相談を親に伝えてしまう先生、の4つの役にわかれて演じてもらいました。

父親役の方に怒鳴られた子ども役の方は「ほんとに怖かった。 でも自分の子どもにはわたしもあのようだったかも…」それぞれの立場ごとの感情のズレ、 子どもは今を大事にしたいのに将来のためという大人との領域のズレ、その子にとって大事なことなのに、 そんな些細なことで…という深さのズレ、そのズレに心が消耗していく.時々それぞれの立場を交換してみる(座るイスを変える)ということも大事だということでした。

実は、おもしろすぎて、資料がたりなくなってコピーをとりにいった事務局長から何度も電話が入っていても、スタッフみんなで無視。

あとで、「おまえら、主催者の自覚あるのかー」と、えらくひねられました。

ハイ、自覚なくなるほど楽しんでいました。

印象的な言葉としては、「子どもが楽しいと思うのは冒険心を満たしてくれるとき」 「今を楽しむ、目的指向でなく、プロセスを楽しむという発想が大事」など、そのためには大人も冒険心を持ち、 プロセスを楽しまなくてはならないが、忙しい現状の中、抑鬱的になっていく人も多いのではないかと思いました。

「時にはさぼってでも、休むこと」参加されていた星沢理事さんが今日一番心に残った言葉だとおっしゃいました。

皆さんにも贈りたい言葉です。

うちの事務局長は、もう十分その言葉の実践しているので、必要ないです。