2006年度活動報告

NO.2

部落史一日(7時間)研修 <講師=斎藤洋一さん>

     部落史を活かすために―授業・教科書、部落史の観点から―

部落問題とは
そして部落の歴史とは
どのようにして部落の歴史をとらえたらいいのか
どのようにして部落の歴史を伝えればいいのか
今まで教科書でやってきた内容や教材でいいのか
部落差別は「つくられたもの」なのか
部落の人びとの経済力は
部落差別とはどのようなものなのか
部落でない武士・百姓・町人らが、なぜ部落の人を差別したのか

10月22日、長野市中央隣保館で「部落史を活かすために―授業・教科書、部落史の観点から―」と題した人権セミナーを開催し、 人権センターながの常務理事で(財)信州農村開発史研究所主任研究員の斎藤洋一さんから7時間語っていただきました。

昨年、斎藤先生の著書「被差別部落の生活」(同成社)が発刊され、その際「この本の内容をできるだけ短くまとめて話をするとすれば、どれだけ時間が必要か」と尋ねたところ、 「7時間かな」という返事。 それではと計画したのですが、さらに注文をつけて「授業・教科書、部落史の観点から」と勝手に宣伝してしまい、斎藤先生には難題に応えて頂き、 一貫した部落史学習が実施されました。

内容ですが、ここで簡単に書けないからこそ一日研修だったんです。

これまで定説のようにされてきた被差別部落のとらえ方、その問題点、それではどう考えたらよいかについて具体的に聞くことができました。 いままで学校で「教わってきた」内容の「あいまいさ」を、具体的に小・中いくつかの教科書記述を指摘しながら、話が進められ、参加者のほとんどが、 「指摘される内容の授業を受けてきたなあ」、「いままで学校で教わってきた部落史に疑問をもたずにいた自分がはずかしい」 「“むねに落ちる”とはこのことだよなあ」と休み時間に会話していました。

斎藤先生は、「千年くらいの時間で、それも政治だけの問題ではなく、日本の歴史=文化の総体の問題として考えなければならないと思う」 「部落差別が全国的に強化されるのは1700年頃からであることも考えなければならない」 「さらに、1871年(明治4)いわゆる「解放令」(賤民廃止令)が出されたにもかかわらず、なぜ今日まで部落差別がなくならないのか、これが考えなければならない最重要課題だろう」 と提起されました。

この研修会は受講者40人程度で募集しました。 「そんなには来ないだろう」という予想に反して、50人を越える人たちが受講されました。

一日7時間という研修です。 本当によく皆さん参加されました。 それも誰一人として眠っていないことに、また驚きです。 さらに終わってから「よかった。 またやってください」という多くの人の声に感激です。

それにしても、語り通してくれた斎藤先生ありがとうございました。 本来の目的だった本の内容にはまったくといっていいほど、ふれることができなかったことから、今度は24時間コースではいかがでしょうか。

また、このセミナーをもとに、どなたか教員にお願いして公開授業(部落問題授業8時間で、10時間で、20時間で行うとしたら、など)を企画したらと勝手に考えています。

島崎藤村『破戒』100年

代表理事写真

今年は島崎藤村の初めての長編小説『破戒』が出版されてか100年となります。

『破戒』は多くの人たちに読まれるとともに、出版当初から今日まで近代文学および部落問題において多くの議論をまき起こしてきました。 今も多くの人たちに読みつがれている『破戒』を、長野県の人たちはどう受け止めているのでしょうか。

本来、この企画を長野県で行わなければならないと考えてきましたが、実現せずに申し訳なく思っています。 大阪人権博物館で行われた特別展と、関連企画で中山英一代表理事が「私と『破戒』の出合い」と題して記念講演が行われました。 中山さんは、自らの体験・被差別部落の側から『破戒』をどうとらえているかを話されていました。

被差別部落の人たちが『破戒』を読んでいない現実や、読んだ部落の人のほとんどが途中でやめている(あまりにも「きつすぎる差別語、描写」など)ことや、 本を片手(地図まで載っていることから)に観光客が部落に訪れる姿を大勢みかける部落の人たち、出版以降一度も現地に来ない藤村を見てきた部落の人たちの思いなど、 どう評価できるかではない現実を突きつけられてきた当事者たちの思いははかりしれないように思います。 できればこうした企画を改めて長野県で実施できたらと考えています。

私も改めて『破戒』を読み返した。

そういえば何年か前に読んだが、途中で読むのを止めたのだ。 あまりにもきつい「差別語と差別描写」に耐えきれなかった記憶を思い返しながら、今回は「『冷静』に読むんだぞ」と自分に言い聞かせて最後まで読み終えた。 そして2回も読み返した。 あのとき読み進めなかった気持ちを確認しながら、大切なことに気がついた。

「丑松像」それは「部落を隠す、部落から逃げる」、その姿と、 今も「命がけで隠す」・「隠さなければならない」差別の現実は100年前と何ら変わっていないのではないだろうかと思えた。

差別は命を奪う。

命を奪う差別に、時には「逃げ、隠す」のは必然だと思う。

そして一人ひとりにとっての「部落とは」を確かめながら、したたかに差別との闘いにいどんでいく決意が必要ではないだろうか。

(N)

<各地で講演会>

7月21日(金)、午後1時〜野沢温泉村人権フェスティバル、午後6時半〜山ノ内町第5回差別をなくす町民大会、また、11月7日、部落解放推進佐久地区大会が開催されました。

人権センターながのに講師の依頼があり、野口克海先生(園田学園女子大学教授、園田学園中学・高校校長)に講演をお願いし、3会場でお話いただきました。

涙あり、笑いあり、じっくり考えて、なにより元気になるお話でした。 現代社会の中で、親も子どもも一人ぼっちにさせられている。 そういう追い詰められている親と子ども側、つまり、本当にしんどい子どもの側にたって、私たちは本気でとりくんでいるのか、ひとりひとりが問われているのだと思いました。

ふるさとへ・・・人とのつながりを取り戻すことから

<ハンセン病と差別>

人権センターながのでは、ハンセン病と差別にかかわる学習を深め、療養所に暮らされている回復者の皆さんと長野をつないでいきたいと、 県内各地の方々に呼びかけ、「国立療養所栗生楽泉園・現地研修会」を、昨年から実施しています。

今年度も以下の方々ともに栗生楽泉園にお伺いし、丸山多嘉男さんのご案内で学習を深めてまいりました。
  7月 9日(日) 長野市吉田地区人権教育研究会   35人
  9月15日(金) 川田人権同和教育集会所運営委員会 15人
  9月30日(土) 長野市部落解放3地区共闘会議   35人
 10月15日(日) 部落解放同盟長野県連合会女性部  31人

 隔離政策がハンセン病への偏見と差別を助長させてきましたが、法律が廃止された後もほとんどの方々がふるさとへ帰ることができません。 国や行政の責任はもちろん、私たち人一人の問題として今後も続けていきたいと思います。

また、同時に丸山さんたち回復者の皆さんを長野へ招いての講演会、懇談会等もコー ディネートしています。

ハンセン病回復者を「ふるさとへ」、そこには未だ厳しい差別が存在しています。

同時に 「“ふるさとへ”かえるためには、その差別を先になくさなければ・・・」と「先か後か」 の議論さえあります。

そして“ふるさと”を生まれ育った「場所」としてのみイメージしている現実があります。

ふるさとを奪ってきたのは、私たち一人ひとりではないでしょうか。

「知らなかった」も含めて、だからこそ奪ってきた自分がいるのではないかと思っています。

「奪われたふるさとを取り戻す」、それは人との関係を取り戻すことであり、丸山さんたちに出逢った一人ひとりが“ふるさと”ではないでしょうか。

10月29日(日)、人権・同和問題を考える飯山市研究集会で、「差別の連鎖100年を問う−部落問題とハンセン病問題−」と題し、 富山国際大学の藤野豊さんに講演をしていただきました。

藤野さんは、部落問題とハンセン病問題は個々の歴史的形成過程や存在形態には差異はあるが、被差別部落にはハンセン病患者が多いという偏見、 そしてそれが遺伝するという認識が、近代社会の中でそれらの差別を連鎖させていき、「特殊部落調附癩村調」につながっていった。 今後はその連鎖の解明と連鎖を断ち切る努力をしていかなければならない。 と、訴えられました。

 「英ちゃん」映画(DVD、ビデオ)制作・〈人権センターながの〉

   70年前の修学旅行・そこでの被差別体験をたどることから

人権センターながのとして、映画(DVD、ビデオ)制作を行っています。 部落解放運動に生涯をかけ、県内全ての部落に入り、今も歩み続けている中山英一さん。 いったい何が中山さんを突き動かしているのだろうか。 松本治一郎や朝倉重吉との出逢いをはじめ、いま戦前戦後の運動を体験として語れる全国唯一の人。

すでに数時間に及ぶ録画を行い、「伝えたいこと」をしぼり出しています。 先般は、中山さんが70年前に行った修学旅行先・直江津でもカメラをまわしました。 そこで同級生から受けた被差別体験。 以来一度も行ったことがない旅館を70年前の記憶をたどってついに見つけました。 それにしてもすごいんです中山さんの記憶力。 「忘れられないんです」だからこそ、あれ以来一度もこの地に訪れなかった中山さん。 ここに原点が。

今回の映画制作をとおし70年かけて奪い返すものとは。

「私が映像としてとりあげられることで、私が美化されてしまうことがいやなんです。 だから今までお断りしてきたのです」と語る中山さん。 それも含めて伝えなければならない内容なのです。

来年1月の県部落解放研究集会で公開できればと思っています。

「千曲市人権に係わる市民意識調査」・「同和地区住民生活実態調査」

現在、「千曲市人権に係わる市民意識調査」・「同和地区住民生活実態調査」を近畿大学教授・奥田均さんの協力を得て実施しています。 意識調査の回収率は57%程度で、いま分析を進めています。 実態調査は様々な困難の中、地元の人たちの協力でほぼ終了することができました。 今回も調査内容とは別に、今まで聞けなかったような被差別体験や、当事者の受け止めなど、改めて問われる差別の厳しさを感じました。

分析等が終了し、まとまった段階で、報告したいと思っています。

「ここがポイント これからの学校づくり」

野口克海 著

面白いですよ、この内容!

野口先生に「人権センターながの会員に見て欲しい内容なので」と相談したところ、無償でいただきました。


ちょっと一言

        事務局人間模様

ありがたいことに最近、講師派遣などの依頼をうけることが多くなりました。 けっこうその内容や日程調整で大変なんです。 「間違いがあってはいけない」と、それなりに気をつかっているんです。

この人はたいしたもんです。 ほら、例の人。

最近、本人もかなり自分のことがわかってきたらしく、依頼に対し「忘れてはいけない」としっかり聞いてメモを取っているんです。

ただ皆さん、ご理解頂きたいのは、忘れないためのメモ・・・をどこにしまったか忘れるんです。
いや、はや。

そんなある日のこと、おや、えらく今回は細かく電話で打ち合わせしているなあ、それも会場までの道順までしっかり聞き取っているではないか。

ちょっといやな予感がした私は声をかけたのです。
 私 「いま詳しく会場まで車で行く道順を聞いているけど、その地方(市町村)に行ったことあるの」
 すると、「え!」「ないよ」
 私 「まったく行ったことがない人が道順聞いて、それをどの程度人に説明できるの」
 彼女「そうだよねえ」「あはは・・・」だって。
 いや、はや。

人のことばかり笑っていると今度は自分の番。 先日、携帯電話を家にわすれて来てしまったんです。 ないとけっこう困るんです。

事務所に来て「困ったなあ、オレはじめて携帯忘れてきちゃったよ」と言うと、すぐに彼女が一言、 「いいえ、二度目です」・・・だって。

自分のことは忘れても、人のことはどうしてこんなによく覚えているんだよ。

そこで一言!
*笑ってごまかせ自分の失敗、しつこくののしれ他人の失敗。
いや、はや。