性=人権=生きる、そこから平和へとつなげる

木島知草

私は、性・人権・命(生きる)のメッセージをテーマとして、人形を使った、性交、出産、誕生、性感染症予防[HIV/AIDSを含む]避妊、 人工妊娠中絶、セクシュアリティについて年齢に合わせて、命を守るために知る権利・学習権があることを伝えています。

前回、この通信で、性教育の抑制が国会で取り上げられ、文部科学省から東京都を中心に全国へと広がっているということを伝えさせてもらいました。

その後、あっという間に、この長野県にも、その波は押し寄せ、県教育委員会も文部科学省の指導に従うよう、各学校へ「指導」しました。 こうしたことから何年も現場の判断でしっかりと性教育を継続してきた学校でも動揺の声があがっています。

きちんとした性教育を受けてこれなかった大人たちの中には、この性情報あふれる時代に、 今もなお「自然に覚えるもの」「寝た子を起こすな」または「早くから教えるなんて・・・」「道徳観で抑制してほしい」などという意識をもたされています。 同時に、いつ、どうやって、教えるべきなのかということを、迷い悩んでもいます。 そして、私が講演をする中での保護者や親からの要望の強さ、性教育が既に家庭教育だけでは補いきれない時代であることを実感させられています。

さらに、経済・商業ベースの「性」情報は、選択する力を奪われている子どもたちに、たれながし続けているのです。 この社会の流れに子どもたちがおぼれない為にも、情報をおかしいと感じたり、自分にとって何が大切かを選択する力が必要となるのです。

今まで学校教育によって・・・

大人たちの「不安」などを利用して、今まで学校教育では最低限な知識にとどめ「あとは各家庭が責任をもって子どもに教えるべき」と、家庭教育に押しつけてきました。 ところが家庭教育では支えきれない親や子どもの現実は、結果として性に近づく子どもや若者を排除し、また性暴力を受ける被害を潜伏させています。

子どもたちや女性たちが(男性も被害を受けています)性被害を訴えるためにも「性」=「命」と知り、 自分の身体を知り、守り、生きる権利があるということをきちんと知らせていかなくてはならないと思います。 道徳や倫理感はもちろん大切なことですが、各個人は、幸せになるために、自分の命や身体について科学的に知り、学習する権利。 また、自分らしく生きる自由や選択権があるのです。

性教育は、一人ひとりが「違い」を認め合い、自分と他者の命をも侵してはならないことを伝える人権教育が柱なのです。

性は人権

性=人権は、目の前の子どもの命を、管理や監視、抑制で守るのではなく、子ども自らが自分の命、身体の主体者としていくこと。 またこの情報化社会の流れにおぼれぬよう、自分の生き方、性を選択していく力がつくのだという、子どもに信頼を寄せることができる大人の存在が、 この時代には必要なのだと思います。

暴力や差別の被害にあって、泣き寝入りするのではなく、生きるための権利が侵されたことを自覚して訴えたり、相談していく力をつけていかなければなりません。 人は失敗を繰り返し、生きていくものなのです。

「性」はまさに自分と他者との深い関係性を築くことであり、共に生きていくことにつながり、生き方や人間性を考えさせる基本的人権そのものです。

また、自分の命は「国のもの」ではなく、「自分は人を殺したくないし、殺されたくもない」と、戦争という最大の暴力を全否定し、 平和を強く願う基礎としてつながっていくはずです。

大人の想像を超えた子どもの反応

私は学校に行くときには、事前のアンケートで子どもの気持ちを確認し、また、このテーマで語った後には、感想を書いてもらったり、意見交換や相談も受けています。 しかしこの豊かだと言われる日本の子どもたちの「こころ」の「さびしさ」にやりきれない思いをしています。

悲しいほど比較される人と人。 そんな毎日の中で「一人ひとりが違っていいんだよ」「命は比べられないよ」「助けてと言ってもいいんだよ」という言葉に子どもたちは強く反応します。 「生きてていいんですね」「安心した」「はじめて自分のことを大切にしようと思えた」……などなど。 大人の想像を超えた「性」=人権=生きる、を学び大人へと成長していく見通しをたて、希望やあたたかい気持ちを伝えるのが本当の性教育です。 そんな性教育の本質を受け止め、そこから、立ち上がろうとする子どもたちがいるのです。

大切なことを伝えたい 

このように書いている私。 私自身も気づかなかったらそのまま流されていた大人の一人です。 まったくと言っていいほど、子ども時代に性教育も何もなく、大人として世の中に放り出され、失敗をくりかえし、人を傷つけ、自らも傷つけ、かろうじて生き抜いてきた女性です。

親となり、また孫も生まれ育てる時代を迎えて、つくづく性を学びなおし、本当に人間にとって大切にすべきものは何なのかを考え続けています。 子どもたちが他者、社会への不安や不信と自分の命のありのままを大切に思えない社会に、少しでも安心と信頼と大切な心を伝えていきたい。 そして、平和を願う心を育てていきたいと思います。

一見しらけているように見えたり、生意気に見えたり、反社会的行動をしたり、問題を起こしたり、大人にきつい目をむける子どもこそ、助けて!とSOSを発信しているのです。

私たちも、子どもだった、若者だった。

よく見つめて、子どもや若者の魂の本質を!

待っています。耳を傾けてくれる大人を!

本当に自分の命に向かい合ってくれる大人を!

決して侵されない命のために

私は全国を歩いている中で、たれ流し的「性」情報や、本気でとりくんできた教師たちの性教育が奪われ消されていこうとする動きを早くからとらえ、 大人たち、親、教師たちにあらかじめ伝えてきました。 そのおかげでいま、こうした事態に心構えをしてくれていた人たちによって助けられています。

こうした困難に、大人たちがしっかりと連携して、この教育の必要性を理解し、学ぶ権利を手離さないでやり続けている人々が実際にまだまだたくさんいることが、 大きな希望の光だと思っています。

子どもたちを守るために続けていこうとする人たちとともに、私もこの社会に少しだけ早く生まれた大人として、 子どもたちにどんなつらい状況でも生きることの意味があることを伝えていきたいと思っています。

オギャー!とこの世に産みおとされて、生きてきた一人ひとりは、そのままでも本当にかけがえのない存在だと思います。 自分らしい生き方、愛する人や信じられる人にめぐりあい、幸せを感じる時があることを私は伝えたい。 そしてそんな人と人とのあたたかいつながりを求めていくには、戦争、暴力、差別をやめていかなければならないことを伝えたい。 どんなに国や政治家が不安をかりたて、この国を一部の強者の都合がいいように動かそうとしていたとしても、私も、あなたも… 決して侵されない命なのだと、繰り返し話していきたいと思います。