長野県部落解放研究集会

「長野県部落解放研究集会」の歴史

 1964年(昭和39年)3月、「第1回長野県部落解放研究集会」が、上高井郡若穂町(現・長野市)永保荘で開催された。部落解放同盟長野県連合主催で200名の参加者ではじまった。内閣総理大臣の諮問に対する「同和対策審議会」答申(1965年)の1年前である。集会内容は被差別部落の差別実態(生活・仕事・子ども)を中心に討論され、以後も差別の現実を踏まえた施策のあり方など学習・討論が行われた。
 1971年(昭和46)第8回からは2月開催となり、1983年(昭和58)からは1月開催となった。
 1997年、第34回集会から9団体による実行委員会が結成され主催・運営がされ現在に至る。1998年には参加者2,200人となった。
 2002年33年続いた「同対法」が失効し、あわせて長野県は今までの人権政策を方針転換した(「部落差別はない」「あるとすれば心の持ちよう」)。これまでこの集会は長野県の補助事業対象だったが「『部落解放』ではなく『人権』に名称変更すれば補助対象として検討してもいい」という方向に対して、実行委員会は「県の補助がなくも参加費のみで実行委員会が継続して部落解放を掲げて取り組んでいく」ことを決定した。
 「同対法」失効と県のこうした姿勢により部落問題はじめ人権施策は大きく後退し、それは市町村や教育などに影響を与え、部落問題についての取り組みが縮小されたり、ほぼ無くなったりする地域もでてきた。県民意識は「もう部落差別はなくなった」「これからは部落問題ではなく人権として取り組んでいくべき」という意識が表面化してきた。こうした中で本集会の参加者も激減した。
 これまでの研究集会の内容は部落問題のみならずさまざまな人権問題を取り入れてきた。しかし、県のこうした姿勢や県民意識を踏まえ「それぞれの人権課題ごとにしっかり学習の場を設定すべき」と改めてこの集会は部落問題を中心に据えて開催してきた。
 2008年、第45回大会からは開催地を県内各地域持ち回りにし、飯田市、諏訪市、安曇野市、松本市、千曲市、小諸市、塩尻市、東御市、長野市(2年)、須坂市、長野市(コロナウイルス感染状況によりハイブリッド方式で開催)、大町市(会場開催予定が急遽コロナウイルス感染状況によりハイブリッド方式で開催)、そして2024年第60回集会を上田市で開催した。
 2019年以降は12月開催。

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