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【第45回長野県部落解放研究集会】
はじめて南信地域・飯田市で開催
『忘れかけていた大切な“すがた”があった』
これまで県内の南信地域には「部落はない」「同和教育に熱心ではない」などと言われてきました。
果たしてそれは事実なのでしょうか。
また、どうしてそう言われてきたのでしょうか。
あえてそうした疑問を問いかけ、その事実の解明と課題を明らかにすることで差別撤廃への道を探っていく。
第45回長野県部落解放研究集会がはじめて飯田市で開催されました。 参加者5百人規模での取り組みでしたが、650人が参加。 何とも不思議というか、集会の雰囲気もすごく新鮮で、忘れかけていた大切な“すがた”を感じました。 それは、参加者が真剣にメモをとる姿。 振り返ってみればかつてあたり前のようにあった姿、いつからなくなったのだろうか。 また、運営に携わってくれた飯田市の人たち。 どの人も積極的に受け入れようとする感じの良さは実行委員会スタッフの多くの人が感じていました。
参加者では現地飯田市はじめ南信地域からの多数の参加、特に教師の参加が多くありました。
集会は、人権センターながの代表理事の中山英一さんが「私が歩いた伊那谷の部落」「島崎藤村『破戒』との出会い」と題して講演を行いました。
中山さんは、戦後、部落解放同盟長野県連の書記長として25年間つとめられ、県内3百の部落を何度も入り、運動と人との繋がりを創ってきました。 そうした経験の中で、伊那谷の部落についてを中心に話がされました。 初めて入った南信の部落で、「お前は部落の出身ではないだろう。 そうだと言うのなら証拠をみせろ」とせまられた体験。 「私が部落だということの証明はどうしたら証明できるのでしょうか」と参加者に問う場面もあり、 「とにかく部落の人たちは真剣だった」「どの部落へ行っても全員が集まってくれた」など当時の状況が語られました。
午後からは、3人の方から報告とパネルトークがされました。
一人目は、斎藤洋一さん(当センター理事)が「南信州の被差別民」について報告しました。 南信州の特徴として、南信には「夷(えびす)職」「ささら」「猿ひき」「万歳」などとよばれた民間宗教者・芸能民系の被差別民が多かった、 とこれまでの研究から資料を基に全体的な話がされました。
二人目は、元小中学校校長の古沢友三郎さんが「木曽の被差別部落」について報告がありました。 今まで「木曽地方には部落はない」といわれてきただけに、この報告は大きな意義がありました。
古沢さんが木曽福島町福島中学校に勤務していたころ、「木曽には部落がないから」と「同和教育」をやらない「理由」を話す教育現場をみて、 ならば木曽に本当に部落はないのかと思い研究した内容を発表しました。 ところが、当時「部落の所在を明らかにするのはとんでもない・・・」という運動団体からの「指摘」で、この研究と公表が片隅に置かれてきた歴史があります。 (確かに、差別の現実、厳しさのなかで、常にこうした課題はついてまわりますが、部落解放運動は本来「かくさない」ことから始まるはず。 しかし過去におけるこうした行為は、結果として「部落史研究に係わらない方がいい」「部落問題はやっかいだ」などの声をうむことになり、研究も遅らせてきました。
三人目は、大阪人権博物館学芸員の村上紀夫さんが「大江礒吉の生まれた『イエ』」について報告がされ、 大江家は「猿ひき」「下役」「ささら」だという歴史的経緯を説明され、大江磯吉は村落共有財産である共同墓地を使用する権利があった。 近世・近代移行期の身分的な位置づけの変化とあわせ、地域社会で村落構成員として認められたこと(そのことで差別の解消とは言えないが)が差別そして人との関係など、 大切なヒントがあるのではないか、という提起もされました。
また、『破戒』の「モデル」として一人歩きした大江礒吉について、時代と地域社会、
実態に即して再検討する必要があると呼びかけました。
SBCスペシャル
荊冠旗を胸に 〜中山英一闘いの軌跡〜
1月31日(木)19:00から一時間番組がありました。
SBCが独自に製作し、SBCスペシャルで放映されました。
テレビとして、しかもテレビ局の独自製作として、ゴールデンタイムに部落問題を一時間番組として放送することは、かつてなかったと思います。
中山さんだからでしょう。 しかし画期的です。
再放送も3月9日(日)24:30からされました。
SBCの野沢さんからDVDを頂きました。 会員の皆さんでみたい方は人権センターに・・・。
「全国モツ(ホルモン)・サミットin長野」
2007年11月7日 長野市・トイーゴ広場
【相談支援】
「お前が部落の者と結婚することで周りからどんな仕打ちを受けることか。
お前はその責任をとれるのか」「勘当してもダメだ、別れてもらう」(父親)
「お前はいいかもしれないが、お前が部落の者と結婚していることで、オレの結婚がダメになったら、お前はどう責任をとるんだ」(兄)
結婚差別の相談が相次いでいる。
それも同じように「反対」の言葉。
毎日つづく「別れの説得」。
とことん追いつめられていく。
緊急避難が必要だ。
「二人はあたりまえのように一緒になればいい」「二人には壁はない」「壁があるのは反対している両親やきょうだいや親戚だ。
その壁を乗り越えなければならないのは、この人たちだ」
一人でもいい。
いてほしい一人の応援者。
その一人がいたら、違った「展開」ができてきたと思う。
今それぞれ家を出て二人で暮らしはじめた。 反対されている差別の現実は厳しいが、みんな輝いた目をしている。 さわやかだ。
うれしいことがある。
相談支援してきた(今も両親たちから反対され続けている)一組の若者が、あいつぐ自分と同じように「苦しんでいる」人たちに係わりをもっている。
まだ詳細は、活字として報告できないが、改めて皆さんに伝えることができると思う。
この人たちの誠実さに、私自身が問われる。 出会えてよかった。
【お知らせ】
NHK歴史番組 その時歴史は動いた 放送決定
人間は尊敬すべきものだ
〜全国水平社結成のとき〜(仮)
放送予定 2008年4月16日(水)22:00〜22:43
NPO法人人権センターながの2008年度通常総会
日時 2008年4月27日(日)14:00〜16:00
場所 長野市若里・長野市中央隣保館