数字では伝えきれない実態 その奥にあるもの
数字では伝えきれない実態
その奥にあるもの
(長野県中高地区同和地区生活実態調査から)
NPO法人人権センターながの 高橋典男
長野県における県レベルの「同和地区住民生活実態調査」は1993年調査以降行われていない。 「部落差別はなくなった、心の持ちようだ」という長野県政が、市町村に与える影響は少なくはない。 各市町村では、取組み格差が広がっている。
長野県はじめ全市町村において、今までに行われてきた意識調査・実態調査では、学識経験者など専門家による分析・考察を行った調査はひとつもない。
こうした中で、昨年度、中高地区4市町村(中野市、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村)による「人権にかかわる住民意識調査」と「同和地区生活実態調査」を 近畿大学奥田均先生の協力を得て「NPO法人人権センターながの」が受託・実施した。 調査の一つの特徴は、四市町村での視点とあわせ中高地区という広域的な視点で行われたことだ。
伝えなければならない大切なこと
「同和地区生活実態調査」について報告したい。 報告しなければならないと感じたからだ。 今回伝えたいのは、この調査結果ではなく、調査に応じてくれた人と直接話を聞いていく中、そろって発した言葉や表情、被差別体験などの、何とも言えない空気の流れ、 その一人ひとりの表情など、数字では伝えられない部分だ。 ここにこそ大切な現実と実態があるように思うからだ。
調査票は世帯と個人の二種類。 調査方法は、次の三つの方法をとった。 一つは各世帯・個人に事前にお願いし、各地域単位での場所を設定して集まって頂き、ひとつひとつ説明しながら本人記入及び、調査員の聞き取り記入を行った。 今回の調査では結婚を意識しながら結婚に至らなかった経験や、実態的被差別の現実と心理的被差別の現実なども聞いていることから、 その場で書けない(言えない)ことを考慮して、持ち帰っていただき、後日訪問回収した。 二つは、調査員が各世帯を訪問し、本人記入及び聞き取りによる記入を行った。 三つは調査員が各世帯を訪問し調査票を配置し、後日訪問回収した。
調査票にもとづき、一つ一つ説明しながら記入をして頂いた。 まず、住宅の延べ床面積や部屋数、宅地面積の記入をお願いする。 その数字に少し驚いた。 ほとんどの人が多めに書いている。 それは絶対に違いすぎるほど多すぎではないかという数字。
「おれの家は何部屋だっけ」と隣の人に聞くと「あんたんとこは5部屋だろ」、本人より近所の人のほうがよく知っている。 隣の人の数字をみて、「おめさんとこ、そんなにはないだろう」など、にぎやかに多めの数字でやりとりが続く。 なぜか皆多めの申告。 何となくその気持ちがわかる。
次に、収入面の設問でもその傾向がうかがえ、こんどはそれぞれ少し静かに自分で記載している。 しかし、ここで一つの問題に気がついた。 それは「収入」の意味が正確に理解されないことだ。 多くの人が「所得」だ「収入」といってもわからない。 「売り上げじゃなくて・・・」「経費を引いた・・・」「それも税込みで・・・」、説明する方も大変だ。
ましてや世帯調査では家族の総収入なども聞いているものだから、「おら、息子の収入なんて知らねえし、そんなこと聞けるか」という中で、なんとか調査を進めてきたのだ。
2種類の調査だけに、世帯調査では世帯主もしくは世帯を代表して記入していただき、あわせて個人の調査という作業手順。
当然家族全員で応じてくれた人も多く、どこで間違えたか世帯調査を夫が代表して書いていたが、妻も世帯調査を書いている夫婦がいた。 少したって気がつき、その書いた数字を見ると、数字が違うではないか。
「同じ家に住んでいるんだろ」
「それも、なんでそれぞれが把握している収入などが違うんだ」
「・・・もしかして、へそくりか」
「すいませんが、この調査で家庭崩壊にならないように」とお願いし、にぎやかな調査が一つ一つ進む。
「あなたの住宅は高齢者や障害者向け設備は整っていますか」という設問に、ほとんどの人が「整っている」と最初は答える。
具体的に「浴槽はまたぎやすい高さである」かを聞いても、そうだと答える。 そこで私が「あなたにとってではないのですよ、高齢者や障害者にとってですよ」と聞き直す。 「やっぱだめだよな」と言う会話でざわつき書き直す姿。
よせばいいのに、隣の人に向かって「おめんとこも、だめだよな」。 なんで人の家の浴槽の高さまで知っているのだ。 お互いに「風呂宿」をやっていたかつての部落の生活とあたたかさを、その瞬間に感じたのは私だけだろうか。
「しょうがねえじゃねえか」
次の設問でさらににぎやかになる。 「あなたは、ご自身を同和地区出身者(あるいは部落出身者)だと思いますか」という設問だ。
なぜかここで一斉に笑いがおこるのだ。 そしてすぐに静かに考え込む。 そのうちにだれかが「おら、部落じゃねえと思う」と言う。 すると「何言っているんだ、おめえが部落じゃなくてだれが部落なんだ」。
ある人は「おら自分では部落じゃねえと思っていても、そうじゃねえみんなが部落だって言うんだもの、おれは部落って事じゃねえのか」。
「部落って何だ」
こんな会話で再びにぎやかにあれこれ話がはじまり、調査はなかなか前に進まない。
そのなかに「しょうがねえじゃねえか」という言葉。 何ともいえない現実と重さを感じた。
鉛筆を握った手は止まったまま
ところが次の設問で雰囲気は一変する。 それは被差別体験だ。 「あなたは部落差別を受けたことがありますか」それも、どのような場面で、いつ、その時の気持ちは、どう対処したかなど。
だれもしゃべらなくなる。 真剣にだまる。 その目つき、鉛筆を握る手は止まったまま動かない。 どの会場でも、どの人も同じく「無反応」という反応だ。
「大変なことを思い出させてしまった」「思い出させてしまってすいません」と言っても何も言ってくれない。 ただ真剣に設問を見つめている。
そのうちに「絶対に忘れねえさ・・・」とつぶやく人、何も書かない(書けない)人。
「後でかまいませんから、家で書いて下さい」私が言う。
「思い出させてすいません」といいながら、発した私の言葉。
調査結果は「差別を受けた、差別にであった」が63.2%、不明とあわせて7割強の人がいる。 3割弱の人が「ない」と答えている。 ところが、明らかにこの人は差別を受けた体験があるのに「ない」と答えている人がいる。 私自身この地域で生まれ育ったことからも、その事実は知っていたのだ。 「思い出したくない」きつい被差別体験からくる「NO」という答えに、深すぎる傷(心理的被差別)の現実を感じた。
次の設問では、ほとんどの人がその場では書こうとしない。 「あなたは、結婚を意識しながら、結婚までにいたらなかった経験がありますか。 結婚されている方は結婚前の経験について」などの設問だ。 結婚差別については今の状況だけでなく以前の体験までもきいている。 この調査票を家に持ち帰り、人に見られないように書いている姿が予想された。
後日回収した際、しっかりと封印がされ提出してくれた調査票の多さからも、それはうかがえた。 これも絶対に数字ではでてこない部分だ。
同じ「NO」でも、同じではない
「部落差別をなくすために、次にあげる意見はどの程度重要か」というなかに、「同和地区住民が差別されないようにもっと努力する」という設問。 (結果は「非常に重要、やや重要」が43.3%、「重要ではない、あまり重要ではない」が38.6%)
ここで大変重要なことに気がついた。 私が「同和地区住民が差別されないようにもっと努力する」という意見について重要ですか重要じゃないですか、と聞くとほとんどの人が「それは重要さ」と答えたのだ。
ところが、「『差別されないように』という言葉があるんですよ」さらに「『同和地区住民が差別されないようにもっと努力する』という意見が皆さんの周りにあるのですよ」というと、 「そんなのとんでもねえ、なんで俺たちが差別されねえように頑張らなくっちゃいけねえんだ」とそろって答える。
要は自分(部落の人)の意見か市民の意見なのかでは、答えがかなり違うのだ。 (この説明とやりとりは全ての会場や個別訪問調査で行えたのではなく、課題も残した)
こんなやりとりの最中、一人のおばあちゃんが私に話しかけてきた。
「おら、重要じゃねえと思う」
「・・・おら差別されねえように、それだけを思って小さい頃からずうっと頑張って頑張ってきたさ、こんなにも頑張ってきたのに、これ以上頑張れって言われたって、 頑張りようがねえじゃねえか」
「・・・だからそんな意見重要じゃねえ」。
私は返す言葉もなかった。
このおばあちゃんに、もし数年前にこの設問をしていたら、まちがいなく「重要だ」と答えたのだろう。 「NO」という同じ答えでも、理由は同じではない。 そこにはこの人の体験と思いがある。 いたたまれない熱さをおばあちゃんの言葉に感じた。
識字についての設問「新聞や雑誌など、どの程度読めるか」「手紙など、字はどの程度書けるか」。 ここでも差別の実態の一面をみる。 家族のことなら読み書き状況についてはある程度わかっている。 文字を書いた姿を見たことがなくても、「少しなら書ける」との回答。 なかには「漢字も少しなら書ける」と回答した人もいた。 理由は、「自分の名前は漢字で書ける」だった。
「行政に対して意見や要望があったら」という自由記述では、具体的な要望が書かれていた。 そんな中で、ある人が私に話しかけてきた。
「本当に何を言ってもいいんかね」、「前からお願いしてきたことがあるが、実現できなかったことがあるんだ。 いまさらここで書いてもだめでしょうね」、又ある人も「何書いたって書くだけで終わってしまうんだろう」。
一方で「こんなことお願いすることか」というつぶやきが聞こえる。 差別をなくすこと、そして差別の実態や課題解決を「行政にお願いすること」なのかを改めて問い直すことにもなった。
まだまだ多くの出来事があった。 「今日でも部落差別があると思うか」という設問に、「あるに決まっているだろう」という言う人、しかし一方で「ない、と書きたいな」とつぶやく人。
「これからもこの地区に住み続けたいか」についての設問に、ここでも書く手がとまり、しばらくの沈黙がつづく。 隠すように当てはまる回答に丸をつける姿。 それでも自分以外の人が「住み続けたい」と書くのかが気になっている様子、「夫婦でも違うかも」などの言葉。
「インターネットやパソコンの利用」を聞くと「なんだそりゃ」と聞く人、「食い物でも、健康用品でもないんだから」という高齢者との会話、 そして、「こんなことまで聞くんかい」と言いながら、答えてくれた多くの人たち、いろいろなことを教えてくれた取組みだった。
調査に応じてくれなかった人たちの現実
長野県の「同和地区」は1975年調査では270地区、5518世帯、人口22392人、1993年総務庁生活実態調査で、 県内に254地区、4596世帯、人口15849人(「調査できなかった」との理由で報告されなかったところがあった)であった。 地区の規模別では60世帯以上が全体の5.5%、9世帯以下が約半数(5世帯以下は全体の23.6%)と典型的な少数散在型の部落である。
調査を行うにあたって課題となったのが、調査対象地域と対象者の問題である。 対象地域については「旧同対法」の施策実施にあたって行われた「地区指定」に基づいてのみ行うことは難しい。 市町村によって指定範囲がまちまちなのだ。 関西地方に多い大規模部落とはちがって少数散在である。 「同対事業」を行うときに、数世帯しかない部落では事業実施のための要件を満たさないことや、周辺地域との一体性がはかれないことなどから、 部落の周辺全体を含めて地区指定を行ってきたところと、「部落だけ」地区指定を行ってきたところがあるのだ。 一方、調査対象者については、部落から出て暮らす若い世代があり、それら全ての人たちに調査を依頼することには限界があった。 そのため、持ち家率の高いことや、子育てに関する設問に答えてくれる世代の存在が少なく、地域によってもばらつきがある。 これも実態といえば実態である。
従って調査にあたっては、最初から何人が対象なのかという設定は困難であった。 今までの市町村による調査や施策の対象者・地区を参考に、調査に応じてくれる人たちそれぞれのつながりの中から、さらに対象者を増やしていくというかたちをとっていった。
調査に応じてくれなかった人も多くいる。 おばあちゃん、おじいちゃんは調査に応じてくれたが息子夫婦はだめだったり、逆に息子夫婦はいいが他はダメだったり、 なかにはその家族の中で一人だけ調査に応じてくれた人など様々だ。
調査に応じてくれなかった人たちのことが、どうしても気にかかる。 「絶対にいやだ」とひっしに拒んだ人、「いまさらこんな調査したって・・・」と言葉を吐く人、「うちはいいから」とそっとしておいてほしいという人。 数字ではでてこない、活字では伝えきれない、調査に応じてくれなかった人たち。 この大切な人たちと重い差別の現実を受け止めなければならないように思う。