2005年度活動報告

NO.2

《ガイドヘルパー研修》

ガイドヘルパー研修写真1

ガイドヘルパー(重度視覚障害者・麻痺等全身性障害者移動介護従事者)の養成研修を、昨年につづいて、夏のまっ盛りに行いました。

重度視覚障害者移動介護従事者を7月30・31日、麻痺等全身性障害者移動介護従事者を8月6・7日に行いました。

「こうなったら夏の恒例にしましょう」と恐ろしいことを言われる広澤里枝子さんはじめ桜井緑さん、 いつもの「わっこ」の武田幸作さん、桜井真一さん全員で(善光寺にて金沢梨恵さん、倉持光明さん、塩川悦子さんに講師をお願いしました。

ガイドヘルパー研修写真2

実習の警備を手伝ってくれたのは、前回までは研修生の田中哲さんと須田伸吉さん、暑い中ありがとうございました。

受講生のみなさん、やっぱりはじまったときのおっかなびっくりの顔から、最後にはきりっとしたガイドのお顔になっていました。 こんなに短時間で人が変わるのを見させていただけると、研修も開催しがいがあるというものです。

また、来年もやっちゃおうかなあ…(夏はさけたいけど) PS.受講生の河野さん、頼むから公道で倉持さんと車イスレースするのは勘弁してくれ〜

《今年も部落に…》

学習院大学・川島教授と学生たち

「いつでもおいで下さい」昨年のことでした。 うれしいことに今年もまた学習院大学川嶋教授と学生たちが県内の部落を訪れました。

9月2〜4日、昨年同様、中野市(旧豊田村)で交流しました。 ちょうどその日は、豊和解放子ども会のキャンプの日。

小学生たちは、「サンタさんが来た」と川嶋先生のまわりに集まりました。 川嶋先生の白く長いひげ。 子どもたちに言われてみれば、まったくその通り。 ただそこは遠慮をまったく知らない子どもたち。 そのひげを引っ張ったり、自分の名前だけでなくほしいプレゼントまで書いて渡しているではないか。 いや、はや。

学生たちも子どもたちの中に入り込んで、中には中学生にみえる大学生の姿。

決められた課題についての話や、場の設定もなく、自然に何かをしているまさに「交流」の時が流れました。

「部落視察」とは。 「部落に入る」「現地の現実から学ぶ」とは。 そんな難しいことではなく、ここから、こうしたことから始まるように思えました。

帰り際、一人ひとりの子どもたちと握手をし、涙を流す子どもの顔も。

ところでサンタさん。 あの「ほしいものを書いた」プレゼントはどうなってしまうのでしょうか。

「またいつでも来てください」・・・そしたらつい先日学生から電話が。 「10月の末に行きたいのですが」・・・

【研修企画】

様々な研修や講師派遣などの依頼があります。 できるだけ現実にそった実践につなげていくために、企画提案を行っています。 そんな中での一つを紹介します。

《長野教育事務所「社会人権リーダー養成講座」》

社会人権リーダー養成講座写真

長野教育事務所が主催する「社会人権教育リーダー研修」の相談を受け、「どうせ行うのなら、より具体的で実践的な内容にしませんか」と提案させて頂きました。

なぜなら、「リーダーを育成する」という目的だけに、講演を聴いてただ「よかった」だけでなく、 私は明日から何を(「できるか」ではなく)「しなければならないか」と実践に役立てるものにしたかったからです。

9月6日、北信地域の市町村からリーダーが36人参加されました。 障害者問題、視覚障害者の現状と移動介助について一日研修がされました。

講師に広沢里枝子さんと、広沢さんのガイドヘルパーをされている桜井緑さんお願いし、視覚障害者とのコミュニケーション、移動支援の基礎知識、 昼食のデモンストレーションを行い、午後からは移動介助実習として、スーパでの買い物体験など二人一組になり交互に介助と視覚障害者を体験しました。 さらに実際の現場を想定してのロールプレイも行われ、「もし、視覚障害者が長野教育事務所に訪ねてこられたら」など、笑いのなかにも、真剣な表情がうかがえました。

実際にやってみて「少しわかったような気がします」「明日から行動に移してみたいと思います」など感想が聞かれました。

そうそう、こうした研修は主催者も一緒に体験することを事前に申し合わせていただけに、「楽しかった」ですよ。 考えることと実際にやってみるでは大違い。 教育事務所の皆さんも大変おつかれさまでした。

ぜひそれぞれの地域でも計画してみませんか。 声をかけてください。

【教育部会の取り組み】

東日本部落解放研究者集会に北原さんが参加

8月20日から21日にかけて行われた東日本部落解放研究者集会に北原貞吉さんが参加されました。

北原さんは人権センターながの教育部会の相談役で、東日本部落解放研究所の企画員として係わられています。

今まで長野県解放教育研究会がこの任にあたってきましたが、当人権センターに合流したことから、引き続き北原さんにお願い致しました。

集会の特徴は歴史、教育、狭山の分科会で討議が行われることで、教育の分科会に参加した北原さんは 「東日本における『同和教育』の変化と、その中でも本県における後退した現状」を一層感じてきたそうです。

なお、後日北原さんから資料をいただき、他県における取り組み、特に「統一応募用紙」の取り組みに、今後人権センターとしても取り組まなければならない必要性を感じました。

今ひとつ・・・ 「同和教育の検証」

人権センターながの教育部会は様々な会議を回数こそ重ねてきましたが、具体的な姿がなかなか皆さんに示せず申し訳なく思っています。 「同和教育の検証」も執筆における文体に課題をかかえ、書いては一から書き直しの繰り返しをしています。

「まあ、そのうちに何とかなるさ」いや「何とかします」。 苦しめば苦しむほど、いいものができると思います。 (言い訳)

“一枚の記録、ひとつの記憶、一枚の写真を持ち寄って話しませんか”

「ここから始まったんだ」

7月30日、長野市中央隣保館で“一枚の記録、ひとつの記憶、一枚の写真を持ち寄って話しませんか”と題して集いの場を呼びかけてみました。 「同和教育の検証」の一環としても、また教育部会の会員交流としても位置づけ開催したところ何人かの会員が参加してくれました。 参加者が「少なく」はありません。 そもそも「同和教育」はここから始まったのだから。

いい話ができました。 先生方、それぞれの現場で“しんどい”子どもたちと日々自らを向かい合わせていることがよくわかりました。 また開催します。

「『一掃』って、私たちはゴミか」丸山多嘉男さんにお会いしました

丸山多嘉男さんとお会いすることができました。

長野県でただ一人実名を公表して、ふるさとに戻られた旧ハンセン病療養所の入所者の方です。

実は、先般人権センターながのが行った人権セミナーにも、来てお話しいただけることになっていましたが、急遽、ご都合が悪くなり、残念ながら当日はこられなくなりました。

そのことを申し訳なかったと(そんなこと思うことないんですが)お電話で時々お話するようになりました。

丸山さんは、昨年、54年ぶりにふるさとにもどられたのですが、体調がすぐれず、3ヶ月ほどでまた療養所にもどられました。 でも、ハンセン病のことについて学びたいという人がいるところには、いまはどこへでも語りにいくと、おっしゃっています。

先日、「長野で講演するからおいでよ」と誘われ、はじめてお会いすることができました。 年は離れているとは言え、異性と待ち合わせなんて久しぶり、おたがいちょっと照れながら、講演の前後でお話することができました。 トトロのような私をみて「あんたでかいねえ」と、びっくりしながら、私のためにおみやげまで買ってきてくれた、やさしくて、気さくで、とっても素敵なおっちゃんでした。

丸山さんは、「本当はもう黙っていようと思ってたんだ。人前で話すのもにがてだしね。」 「じゃあ、なんで語りはじめたの」って聞いたら、「自分が入園した時のことが書かれている新聞記事をみたからだ」と言われました。

その新聞は、長野県は戦後の無ライ県運動のトップを切って無ライ県となったと書いており、そのことをさも誇らしげに 『らい保菌者を直ちに園に収容し、らい患者を全国ではじめて一掃した』と記事にしてありました。

「『一掃』ってことは、自分たちはゴミみたいなもので、人間としてあつかってないってことだよね。 ゴミを掃き出してせいせいしたってことが書いてある。 こりゃあ、黙ってたら、なんにもなかったことにされる。 されたもんが、本当のこと、しゃべっていかなきゃだめだわ」って思ったとのことでした。

「『人間をとりもどす闘い』ってことでは、同じだね」と意気投合しました。 今度は私が園におたずねすることを約束してきました。

一つのセミナーからまたつながりがふえました。

ちなみに丸山さんは女の人が大好きです。

「男はかたくていけねえ、女の人の質問はおもしろくていいねえ」(このときの講演のあとの質問でも、奥さんをどう口説いたかの質問を女性がしていました。 )「あんたが、女の人がいっぱいの集会用意したから来てって言ったらすぐ行っちゃう」そうです。

              (「トトロのような私」から)だれだ、笑っているのはU

紹介・参加してよかった

ピア・カウンセリング特別企画「障害は治さなくていい」

広沢里江子さんから誘われて、8月27日、長野市・サンアップルホールでの、ピアカウンセリング特別企画「障害は治さなくていい」に参加してきました。

講師は自立生活センター松江の代表であり、ピア・カウンセラーの中村宏子さん。

中村さんは、座ることができず、ベット式の車イスで全国を駆け回って仲間の支援をしている方。

当事者同士が話を聴きあい、互いにサポートし合う「ピア・カウンセリング」。 ピア・カウンセリングが何故必要なのか。 当事者が仲間の支援に当たることの意義を、ご自身のおいたちを含め語られました。

「長野教区 戦後60年のつどい」

〜沖縄のこころ《島うた》と戦争体験、そして今、これからを語る〜

沖縄と長野をつなぐ「非戦・平和」に向けたとりくみとして、9月26日、 メルパルク長野で長野教区基幹運動推進委員会の主催による「長野教区戦後60年のつどい」 〜沖縄のこころ《島うた》と戦争体験、そして今、これからを語る〜が開催されました。

「戦後」60年を振り返り、沖縄から仲宗根長一さん、充さん親子を招いての沖縄のこころ「島うた」コンサートと、長一さんの沖縄の戦争体験、 沖縄とのかかわりをジャーナリストの小林照幸さんが語るというユニークな会でした。

ちなみに、このつどいの発起人は人権センターながの常務理事でもある松島澄雄さん。 先日沖縄に行った際、たまたまタクシーでお会いしたのがそのタクシー運転手の仲宗根充さん。 人はどこでつながるのか何とも不思議です。


ちょっと一言 

事務局人間模様

私は最近思うのです。
人間は忘れる事が増えてくることを。
歳をとってくれば誰でもが感じていることだと思います。

 また今日も「私の携帯電話しらない・・・?」いつもの人が騒いでいます。
こんなことはいつものこと。
私の携帯で彼女の携帯に電話してみる・・・、鳴っているではないか、彼女の鞄の底から。
いや、はや。

 この間は出張中の彼女に用事で、電話しましたがいくらかけてもつながらない。
そのうち彼女から電話が。
「いま〇〇に来ているんだけど、お茶をこぼされて携帯つながらないの」(〇〇とは、講演で呼ばれた場所)。
「壊れたみたいだから、このままドコモへ直行で・・・」と。

 翌日彼女から話を聞いて「あきれました」。
壊れた携帯をもって、あれからドコモへ直行した彼女。
「すいません、お茶こぼされたんで・・・」。
一生懸命調べてくれたドコモの店員さん。
「どこも壊れていませんね」・・・「ところでお客さん、料金未払いで不通となっております」
 ・・・これが原因だ。
いや、はや。

 先日、「あれどうなった」と私。
「え、何のこと、知らない」、では「〇〇の講師の件は」・・・「あ、忘れた」。

 私は最近気がついたのです。
どんでもないことに。
彼女は忘れることが多いのではなく、最初から覚えようとしていない、ということに気がついたのです。
いや、はや。

 人のことばかりは言えません。
自分でも最近「あれさ、あのさ、」と言葉が出てこないばかりか「そんなこと言われたっけ」の毎日。

 そこに追い打ちをかけて彼女いわく。
「人間同じ事務所にいると似てくるねえ」だって。

 いや、はや。
「それだけは言われたくない」